奈良の郡山の風景 私の写真について

目安時間:約 4分
今日も先日の郡山での写真を投稿します。
郡山って言っても福島でなく奈良です。
最近は飯食ってしまうと強烈な睡魔に負けて眠ってしまって、目が覚めると23時過ぎという日が続いてます。
何しかねむい。
これが炭水化物食べても食べなくてもそうなるのだから、体がなんか辺ですね。
いつも仕事してても、とても疲れやすいわけでもなく飯食った後になんしか眠くなる。
食って、眠くなって、寝る、これってある意味健康なことなんでしょうかね。
しかしながら、最近急激に爺化してきた自分がどうにも不甲斐なく、なんとかならんのかな?って思ってしまってます。
そんでもって先程目が覚めて、ちょっとブログの作業をしようとしてChatGPTを立ち上げたのですが、ChatGPTが落ちてましてね。
で、「どうしよう」ってなって、いまのところChatGPTが使えないので、どうしようもなくて写真のブログを更新してる次第です。
昨日のうちに郡山で撮ったカットをレタッチ、リサイズしてあったのでサクサクっと投稿した次第です。
あいも変わらず、特になんの面白みもない自分の写真に「ああ、相変わらず俺だな」なんて思いながらこのブログを書いてますが、「ただ撮ってるだけ」という写真の羅列。
自分が撮りたいことってこういう写真なのだから仕方がない。
ポートレートとか撮ろうって思わないし、芸術には憧れるが自分が写真でそれをやる能力はないのでただ撮るだけ。
レタッチと言ってもそれらしいことしてないしね。
レタッチというより調整です。
補正です。
写真にそれ以外に必要なものってあるの?
絵ではないのでやりようがないですよね。
芸術っぽくなるもの見つけて撮ったり、フレーミングとかでそれっぽく見せたりすることはあるけども、芸術とは程遠いものですが。
結局のところコンセプトだ、テーマだ、ってやって写真作品つくりましたってやるより、自分にしたら撮ってるだけの写真、たまたま写ったみたいな世界観のほうがよっぽどアート的、芸術的と思えるわけで、だから長年撮ってこれたのかなって思ってみたり。
自分の写真をいちいちコンセプトやテーマだって言って、言葉で説明できればええのだけども、自分はそのようなことをすればするほど自分で嘘をついてるように思えてしまって仕方がないのですね。
なので撮った写真をレタッチという名の補正、調整をして提示するだけのほうが自分に撮っての真実なのですわ。
言葉でいちいち説明して訳のわからない状態の人もいたりしますが、ただでさえ写真だけで伝わりにくいのに、言葉にして更に伝わりにくくなったりすることもあったりするし、自分だったらどうせなら写真だけ提示するほうがええな。
カメラ持って外に出て、フラフラ歩きながら他愛もないありふれた写真撮って、なにか特別なことやってます、やりましたって言うのも違うし、誰でもできることやってるので、自慢できることもないわけで、ただただ撮ったものを提示するほうが、自然なことのように思えるわけで。

写真について話すのに遠いところを見てる目つきで神妙に話すような境地で写真を撮ってないし、考えてないので、そういうことですわ。

別に写真撮るのはやめようとは思わないし、これからも続けるけども、最近は再び奈良の街を歩いて撮りたいって思いが出てきたので、休みが待ち遠しい。

頻尿で奈良の街の写真を撮ることが億劫になってしまって、しばらく奈良の郊外の写真を撮ってなかったけども、これからの爺化した自分のライフワークとして細く長く続けて行ければ良いかな。

ほんと、ここ何年もずっと奈良公園あたりばかり撮ってたからなぁ。

10年以上前は奈良は大仏と鹿だけではないって思いで奈良公園あたりはあまり近づかなかったような記憶がある。

奈良公園は奈良公園の良さもあるのだけども、やっぱり奈良を今は歩きたいかな。

頻尿に怯えつつも。

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