日曜日は京都に行ってきた。
京阪の七条で下車。
そこから東本願寺まで歩いて、JRの二条駅まで歩いて、二条から嵐山まで。
元々は嵐山には行く予定になかったけども、二条から電車に乗ると数駅向こうが嵐山なので、急遽嵐山に行くことにした。
今日は嵐山での写真はアップしないけども、京阪の七条から東本願寺までの道で撮った写真を9枚ほど投稿します。
最近の写真は構図的にあるルールを設けて撮影してるのだけども、撮った写真をレタッチして、ズラーって並べてみたら自分が設けたルールのお陰で一定のリズムで淡々と風景が羅列してるので、まぁ成功かな、なんて思った。
そのルールというものをここで書くつもりはない。
こういうものって自分にしか適用しないものだし、書いたところで「あっ、そう」くらいの事なので。
自分にとっては「あっ、そう」ではないのだけども。
写真を始めた頃に撮った場所
京都という場所を撮るようになってから、かれこれ20年以上なります。
フィルムで撮ってたころだから、かなり前から撮ってることになる。
写真を始めた頃にニコンのFM10に標準ズームのキットレンズを付けて、カラーネガ詰めて京都を撮りは始めたのが最初。
初めて写真を始めた頃って、今まで気にならなかったものが気になりだして、世界がキラキラして見えたのを覚えてる。
特別な何かを撮ってるような気がしたけども、今思うとなんでもない、どこにでもある風景だったり、光景だったり。
今もそれほど変わらないもの撮ってるけど、あまり成長してないかもしれない。
当時はアンリ・カルチエ・ブレッソンが大好きで、京都の街を「決定的瞬間」を求めて歩いたけども、そういう瞬間に気がつくこともなかったし、出会うこともなかった。
その代わり、なんでもない風景や光景が自分の目の前に立ちはだかったわけである。
「決定的瞬間」を求めて京都の街を歩いていたころは一日歩きまわっても、36枚撮りのフィルムを撮りきることはなかった。
自分が沢山シャッターを切るようになったのはそこから数年後。
リコーのGR1にモノクロフィルムを入れてノーファインダーで撮るようになってから、沢山シャッターを切るようになった。
コンパクトカメラを使うことで、リミッターが外れた感じだったなぁ。
撮れるものはなんでも撮ろうってな感じで、シャッターを切るのが楽しくて仕方がなかった。
なんだかんだで20年以上も京都の街を歩くことになるとは思わなかったけども。
同じところを歩いても、毎回違うように見えるし。
20年で何が変わったって、自分はあまり変わってないけども、世界情勢が大きく変わったことは確かだ。
今では日本の土地が外国にどんどの買われてるらしい。
京都もそうだ。
今から10年もすれば外国資本のテーマパーク化した京都の街に様変わりしてるのでは?なんて思いつつ、「今」を撮り続けないといけない、って思う。
実際はそんな真面目に写真なんか撮ってないのだけども、時々真面目に写真の事考えたりするが、やっぱり自分の写真はお散歩写真であるからして、「昼飯何食べようか」とか、ブルースコーヒーを探しつつ「チェリオの販売機はどこかなぁ」なんて、他愛もないこと考えながら写真を撮ってる。
自分は社会派ではないので、写真にそのようなものは込めたくないし、構図を決めて撮るだけなのですね。
「なんでこの写真を撮った?」って聞かれても「知らんよ」としか答えようがない。
自分がスラスラ撮った写真の事を語りだしたら、それは嘘だと思うし。
こうやってブログでグダグダと駄文を綴ってるけども、自分の写真の本質らしいものを語ってないのですね。
自分は、自分のブログに書いた文章をあとから読むのが好きなのだけども、その時に「ああ」って納得することもある。
いずれにしても、自分なりに自分の写真に取り巻くことなども含めて文章にすることって、まぁまぁ重要な気もするし、どうでもいいような気もする。
ぼちぼちと、このブログを通じてアウトプットしていきます。
写真と関係ないこともこれからは書くかもしれないけども、誰もこんなブログを見ないだろうから、だれにも迷惑はかからないだろう。
そうそう、このブログの文章は写真と写真の間に適当にインサートしてるので、文章と写真とはあまり関係性のないものになってます。
ちなみに写真は時系列で並べてる。
なので、写真の並びに悩むことはありません。
自分の写真の並びは適当だけども、それなりにリズムが生まれます。
そういう撮り方をしてるので、とても経済的です。
今日はこのへんで。
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