今日の山登りはお休みです。
朝早く山登りに出かける予定でしたが、ウダウダしてまして家を出るのが遅くなったので大阪城公園に行きました。
このあたりは枚方の実家に住んでた頃と変わりませんね。
家を出るのが遅くなった時はいつも大阪城公園に行ってましたし。
電車で35分くらいで京橋まで行けるので、まぁあれですわ。
今日はコンデジでスクエアで撮りました。
使ったカメラはオリンパスの高倍率ズームですね。
お気に入りです。
コンデジでスクエアで撮るときによく持ち出します。
オートフォーカスも早いし、書き込みも早い。
それにテレマクロも強力なのでなんでも撮れます。
画質はあれですけども。
やっぱりコンデジは面白いですね。
コンデジの市場がスマホに取られてしまって新しくコンデジがほとんど発売されてますが。
製造しても以前jほど売れないので採算が撮れないからメーカーも作らなくなったのでしょうけども。
まぁ、ビジネスなので仕方がないですけどね。
小さなカメラでパシャパシャ撮れるってストレスないし。ほんま写真を撮ってて楽しいですね。
ここんところ交野の山に登ってたので久しぶりに街で写真を撮った感覚ですね。
しかしながらしばらく山に登ってたら、大阪市内に出てしまうと人が多くて疲れてしまいますね。
大阪城公園も外国人観光客ばかりでなおさらガヤガヤしてて疲れました。
そんでもって大阪市内に出たことを少し後悔しました。
山はのんびりできてほんま良いです。
今週末の二日間は交野の山に登る予定でいる。
今日撮った写真をずっと見ていて相変わらずのいつもの自分の写真だなぁって思った次第です。
まぁ、自分が撮ったので当たり前といえば当たり前なのですが。
別人んはなれないので、いつもの自分写真を受け入れるしかないのですが。
スクエアで撮ってる時は特に適切に切り取ることだけを考えて撮ってます。
感情とかそのようなものを込めたくないですね。
クールに切り取るだけです。
そもそも自分の写真はどのフォーマットを使ってもそのような傾向の写真なのですが。
特にスクエアの場合は縦横同じサイズなので余計に単純に切り取ることを考えてしまいますね。
だからどうだって話なんですが。
そのほうが自分にとっては写真的ですし。
見て、琴線に触れて、撮るっていう単純な行為であります。
今日の大阪城公園で驚いたのがセミの幼虫の抜け殻を見つけました。
まだ2月ですよ。
っていうことは3月にはセミの鳴き声が聞こえて来てもおかしくないですが。
セミの幼虫の抜け殻ってことは成虫がすでに世に出てきてるわけですが。
大阪城公園ではセミの幼虫の抜け殻をよく目にしますが、さすがに今の季節に見かけることって今までなかったような・・・・
ここ数日、暖かいので勘違いしてしまったのかしらね。
さすがに寒さがぶり返してしまったら世に出たセミも死んでしまうかもしれませんが。
大阪城公園ももう少ししたら桃の花が咲き乱れます。
桜の季節の大阪城公園もなかなか良いものです。
今日の大阪城公園で今年も春がやってきて桜の季節がやってくるんだな、と強く実感しました。
今年の桜は交野の山で見ることになるだろう。
桜の季節になると交野山の山肌が桜でほんのりピンクになります。
交野の山々では桜が咲くので今年の桜は交野の山々で撮りたいですね。
さて、さて、昨日実家からプラスチックの化粧ケースを新居に持ってきた。
これでもう実家から持って来れるものは持って来たことになる。
もう実家に行くこが極力なくなる。
実家のガスはもう止めてしまったけども、電気と水道はまだ通ってる。
実家に行った時にトイレが使えるように、そして夜に実家に行った時に電気がつけられるように、と思ってのことだけども、もう行くことが極力なくなってしまったので、のこりの電気と水道も近々止めてしまう。
人が住まなくなった家って一気に朽ちてしまうもので、昨日実家に化粧ケースを取りに行った時に、実家からなにか魂が抜けたような印象を受けた。
自分の気持がもう実家にはないので、そこに宿ってる何かももうそこに宿る意味もなくなったのか、その何かもどこかに行ってしまったようだ。
自分はあの家に住んでいて感じたのは、やっぱりその土地にまつわる何かがあるって感じましたね。
その何かが住む人に良い影響を与えることもあるいだろうし、その逆に悪い影響も与えることもあるだろうし。
そうそう、親父が病気になって枚方の実家から米子に移った後に自分はそこに住み始めたのだけども、部屋はきれいに片付いてはいたのだけども、なんとも言えない空気感が家に漂ってたのを覚えてる。
壁も黒ずんでしまっていたので部屋の中が暗かったので新しい蛍光灯に替えたのだけども、それでも部屋の中が暗くて、気味が悪かったことを今でも覚えてる。
自分はその時に「こんなところにいたら病気になってしまう」って思って、壁にj吹きつけられた黒ずんだ綿をすべて剥がして、真っ白な壁紙に張り替えた。
そしたら部屋の中が明るくなって、どんよりしてた澱んだ空気がきれいになった。
結局、親父はあそこに住んでいてガンになったわけだ。
親父が出ていったあとに、親父がガンになったのもわかったような気がした。
あんな澱んだ空気の場所で親父は何を考えて日々過ごしてたのだろうか。
親父が抱えてた悶々とした感情がそのまま残ってるような気がして、その空気に耐えきれないので、仕事が終わってから夜な夜な寝る暇を惜しんで新しい壁紙に張り替えたことをリアルに思いだしましたね。
時間とともに忘れてたことをここ数日思いだした。
明日は自一家から持ってきたもう一台のデスクトップパソコンを使えるように設置する。
自分が今持ってるパソコンはウィンドウズ10だけども、これがいつまで使えることやら。
いずれ11に変えないと行けないときが来るでしょうけど、そこまでお金をかけてられないので、ある時期が来たら一気にウィンドウズ10のパソコンを処分して11のパソコンに買い替えるつもり。
バージョンアップするのはいいけども、現行の10のセキュリティ面で不安定になるのは嫌だな。
ずっとサポート続けてほしいものだ。
なんとかならんものか。
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