境港を撮り歩きつつ植田正治を思う。

目安時間:約 5分
今日は10年前に米子を訪れて、早朝に境港に行って撮った写真です。
マイクロフォーサーズのカメラにホルガレンズを付けて撮った。
先日のソニーのミラーレスにホルガレンズを付けて撮った写真よりもあっさりした写りです。
やっぱりセンサーの大きなぶんソニーのミラーレスのほうがよく写ってるように思います。
マイクロフォーサーズもまぁ、悪くないですが。
今日投稿した境港の写真は10年前のもの。
今の境港とそれほど大きな違いはないと思います。
変わりようがないというのかな。
と言っても場所によっては新しい住宅が多く建ってるところもあったりしますが。
10年前の境港はそれほど人も多くなかったですね。
ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげるの出身地で、境港のメイン通りには妖怪の銅像がたくさんあったりしてまして、そのこともあって観光地ではありますが、10年前はそれほど人の多い場所ではありませんでした。
しかし、NHKの朝の連ドラで水木しげるを題材にしたドラマが放送されるや、境港を訪れる人が急に増えましたね。
正直観光で訪れる人の目的はゲゲゲの鬼太郎だったり、水木しげる記念館とかだと思いますが、それ意外に特に何かあるわけでもなく。
強いて言えば港が近いことで採れたての水産物くらいでしょうか。
港から近くて採れたての水産物ですが、観光客相手の値段をふっかけてるので、それほど割安感はありません。
むしろ高いって思う。
米子に移り住んだ父親曰く、地元のスーパーのほうが全然安いとのことで、地元の人がわざわざ境港に上がった採れたての水産物を目当てに境港に行くことってないらしい。
まぁ、そんなもんだろう。
境港にも和歌山の黒潮市場のような場所があるのですが、自分は一度も行ったことはありません。
高いからね。
鳥取の境港出身の写真家といえば植田正治。
境港の街を歩いていていつも頭の中にあるのは植田正治のことばかり。
こんな田舎の町で生まれ育った植田正治の写真がモダンであることに自分はいつも不思議な気持ちになる。
植田正治の実家は金持ちだったらしく、植田正治が片田舎に住んでいてモダンであったことはお金持ちであったことも大きな要因だと思われる。
もともとは画家志望だったようです。
確か親から反対され、代わりにカメラを買ってもらったという話をどこかで読んだ。
山陰の片田舎でそれも当時高価だったカメラを子供に買い与えるだけの家なわけで、その時点で普通でないですよね、
大正、昭和のはじめの頃のアマチュア写真家ってみなさん揃って家が金持ちの人ばかりですよね。
家が商売してる人ばかりで、アマチュア写真家で芸術写真やってる人は皆さん裕福な家のおぼっちゃまばかりです。
植田正治もそうなのでね。
昔の写真家に福原信三って人がいたのですが、その人の父親っていうのは資生堂の創業者であります。
昔のアマチュア写真家ってこういう人が多かったわけです。
今みたいに誰でも写真を撮れる時代ではなかったのです。
金持ちの道楽です。
芸術家になるっていう夢を抱けるのも金持ちの家に生まれた人の特権と申しますか。
そういえば昔の日本の画家の人の写真を見るとみなさんお洒落でモダンは方が多かったですよね。
若くして外国に絵を学びに行ったりとか。
そういう人たちが芸術を作ってきたわけです。
植田正治が境港のような場所に住んでいて、それでいてモダンな写真を撮ってたこともなんだか納得できますけども。
植田正治の写真は貧乏くさくないし、労働者臭くないですし。
境港の街を撮り歩いてる時は、そんなことをよく考えて撮ってますね。
ちょっとした作家研究です。
一番わかりやすい作家研究って、その作家が生まれたところや育ったところを訪れたらその作家のことがよく見えてくるように思います。
自分は滋賀県の近江八幡とか東近江とかに行くとやっぱり川内倫子の写真を思い出すんですね。
川内倫子のスクエアの写真を見ると滋賀県を思い起こします。
ま、そんなところ。
さて、今日もホルガレンズの写真を投稿しました。
昨日あたりからパノラマフォーマットの写真を撮りたくて、今日は仕事中にその事ばかり考えてた。
細長のフォーマットでどこを撮る?
真っ先に頭に出てくるところって第二京阪道路でしたね。
第二京阪は自宅の目の前なのでいつでも撮れるわけですが、いつでも撮れるって思いがあるといつになっても撮らないのですね。
今週末は自転車こいで第二京阪を走ろうかしらね。
朝の通勤、夜のランニング、ウォーキングも第二京阪。
ああ、もう自分の生活の一部になってしまった。

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